研究所日誌

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2006年 03月 20日

中世以降のあり方

和泉国、特に南半分は、高野山領や摂関家の荘園だったため、この時期の文書が良く残っています。古くは三浦圭一氏の分析があり、網野善彦氏の論考など多数あります。よって中世以降については、文献史学の方がこの地方の社会構造なりを良く理解されています。荘園での土地管理、あり方、(これは日根荘が有名)や惣(そう。簡単に言えば村の集合体)、惣墓(そうばか。その集合体の墓、共同墓地)など。惣墓はそのまま近世に引き継がれて、共同墓地となり、そこにおける三昧聖(さんまひじり。死体の扱い、火葬にあたった人たち)などの分析など多くの成果が上がっています。

その中にあって、埋蔵文化財発掘調査でこれらを打破するものをと、常に念頭において、現地に立っていました。

関西新空港建設にかかる各種工事に伴う発掘調査で様々な資料が増加したこともあり、一定同じ土俵で話ができる所まできたかな?って感じはあります。

私のフィールドで行けば「近木庄」という高野山領荘園があり、発掘調査で普通に農地を確認したり、集落を確認したりするだけでは、なかなか対抗できる状態にはありませんでした。しかし、平成3年以降の大型調査の頻発で、一矢報いるところまでは何とか来た感じ?とりあえず、文献史学に再考を求める所まで来たと考えています。論文は書いていませんが・・・。
(ぶっちゃけて言うと、三浦氏に続く文献史学の研究者がおらず、あちらが進展しなかったことが最大の要因・・・(泣))

文献史学の動向が常に気になりますし、先行研究を常に気にしながら調査にあたっています。


で、だいぶ前ですが、大阪の北部で、大きな団体さんが、凄く残りの良い中世の墓地を発掘調査しました。成果報告を聞いていて「小踊り!」。「惣墓だ!」「やったぞ!凄いぞ!」。

で、担当者にお話を聞くと、「たぶんそうだと思います。」との回答。? これだけ良い状態なのになぜはっきり言わない?・・・あれ?

しばらくして、報告書が出たら・・・「地域の有力集団の墓である。」と書いてあり、目が点・・・。

おかしいと思って調べてみると、その地域の惣の分析がほとんど進んでおらず、発掘調査側も市史なんかを参照しただけのようでした・・・。おしいですよね・・・うらやましいぐらいの墓地なのに・・・もったいないですよね。

何が言いたいか分かりますよね・・・文献史学の方はたぶん分かるはず・・・。今日の・・・(..ゞ アセ

そうそう、4月8日の懸案だった事項、こっちに行けそうです。現地見ても仕方がないので、シンポだけ参加予定・・・(ぶつぶつ・・・うちも違う件で見学会をお願いしてたのですが、こちらに惨敗・・・近世部会の見学会やってくれないかな~!準備しますよ、ヒストリア様(^^)
中世荘園の景観
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by amuro1900 | 2006-03-20 00:41 | 日記


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